柔術は何でも教えてくれる。
JUGEMテーマ:ブラジリアン柔術
しばらく何も書けませんでした。
前にも書いた通り、私は柔術を好きだ好きだと公言しすぎて、
自分の中に「本当に俺はそこまで好きか?」と
疑問が生まれた途端に、一度距離を置きたくなってしまったのです。
最近、私は柔術以外の趣味に取り組んでいて、それをやっている方が
気が楽だったのです。(打ち込み音楽)
そうは言いながらも週2回の練習は自動的に行っていました。(これが習慣です。)
週4くらいで通ってた頃よりも、体もすぐに衰えを見せ
老化こわッ!と思いました。
スパーでも明らかに自分の体の動きが鈍くなり、ちょっと前に入った人にも
ボコボコにやられる始末。これまでの5年間はなんだったんだ??と落ち込みました。
試合で頑張っている人も見ました。
初めて試合に出て、負けちゃった白帯の人に対して、前向きな事を言うべきなのに。
つい、「ほどほどに頑張ればいいよ。」的な事を言ってしまい
後から何を言ってるんだ。俺は?と思いました。
そういった感じの、はたから見たら、あんなに柔術最高とか言ってたやつが
どんだけ、トーンダウンしてるんだ??と思ったことでしょう。
そんな柔術フェードアウト気味だった私ですが
ただ、昨日少し闇が明けたというか、霧が晴れたと思った瞬間がありました。
それは、ちょっとした気づきでした。
それは、スパー中に何も考えていないけど、戦っているという
状況があった事です。
それはいつもと違いました。いつもだともっと、あれこれ考えて戦っていた気がします。
それは、非常にどうでもいいことばかりで一つ一つが断片的なのです。
私は精神と体が、かなりリンクしていて、精神が調子が悪いと
体も全然動かないようです。
しかし昨日のスパーでは手脚が勝手に動いていたような気がします。ただ動いているという感じです。
何も考えてないけど戦っていると書きましたが、正確には考えていました。それはすごくシンプルで、
疲れたから休む、動けるから動く。程度のすごくシンプルな考えでした。
これが非常に体に対してはスムーズな思考だったのです。
スパーも調子よく、あぁこの感覚だ。と思い出しました。
そこに至るには、いくつか理由があったと思います。
まず、前日に酒を飲まなかった。私は毎晩2杯ウイスキーを飲みます。
前はもっと飲んでいたので、これはかなり減らした方です。
ただ、前日はなぜか飲まなかった。それが良かったようです。
それから、柔術と一定期間心理的に距離を置いていたこと。
ブログを書かなくなって、人にどう思われているのだろう?と
考えなくてよくなって気が楽になった事。これも良かったのだと思います。
長くなりましたが、この記事で何が言いたいかまとめます。
まず、私の様な人間には、柔術は好きか嫌いかとかでは、くくれないほど、
もはや習慣になっていて、それこそが重要であり、
たとえばわかりやすく、柔術を好きな人のようにふるまうのは
ちょっと違ってきている。(選手に詳しかったり、強さに固執したり。)
だからたとえば、ストレス解消だとか健康増進などの目的すら必要なくなっています。
(実際私の今の健康状態は運動してる割によくないと思う。)
では柔術はいったい何なのか?というと、自分という人間を見つめる単なる計測器のような
役割を果たしていると今は思います。
習慣づくとわかりますが、柔術めんどくせーな。と思う事もよくあるし
お金や時間があれば、他にも楽しいことがいっぱいあるので、そっちをやりたい。と思います。
しかし、結局週2回道場に行って、自分を計測していれば
客観的に今の自分が見えてくる。これがいいのだと思います。
ヒクソンがいうところの柔術は何でも教えてくれる。状態とはこういう事なのかな?と思います。
- 2015.03.13 Friday
- オッサンの一人語り
- 16:53
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- by 藤原