帯が万年あがらないあなたに。
柔術には非常に細かな帯制度というのがあります。帯を上の色に変えていくには、試合で勝ったり、高い技術力を持っていると所属道場の先生が判断したときに変わります。これは柔術界独特の上を目指すシステムで、これがあるからこそ、同じランクの人たちと無理なく試合ができたり、年齢が上でもその年齢の枠で試合ができたりと、柔術を長く続けていけるためのよくできたシステムなのです。
しかし”この制度の完成度が高いがために、柔術をやめていく人がいるのも事実”。これはあまり今まで目を向けてこられなかった話です。
そう。帯がなかなか上がらない人が、「こんな道場じゃいつまでやってても意味ないわ。」と思ってやめていく人がいるのです。私は何人かそういう人を見てきました。
うーん。もったいない。しかし、こうも思います。もし、あなたが帯が上がらず、柔術を嫌いになっているのなら、それは、もともと、柔術がそんなに好きじゃなかったのでは?ということ。
柔術の細かな帯システムは、軍人などと同じ自分の強さを示す階級システムそのものです。強さにあこがれる男に与えられる、まさに勲章なのです。よって、強い先生から頂ける勲章をもらった時には、非常に誇らしく、周りからの羨望やリスペクトを集めるわけですので、みんなその勲章が、ほしくてほしくてしょうがないのです。事実、帯が上の人は強いですし、技も多彩ですし、帯下の人は、そういう先輩とスパーして感激します。だからなおさらみんな上を目指すのです。
ただ、このシステムが、ある種の人を苦しめるのです。それは承認欲求が強い人たちです。承認欲求が強い人とは他人からの評価を過剰にほしがる人です。心理学的に言うと、この手の人たちは自分に自信がありません。自分で自分を認めてあげられないのです。ですので、なんとしてでも他人からの評価を得ようとし、得られないと苦しみます。帯が上がらず辞めていく人の原因はここにあります。
ところで私はすでに青帯を4年ほど巻いています。同期がどんどん紫帯になっていきますし、あとから始めた若者がどんどん追い越していきます。水戸黄門のテーマ曲か!という感じに。自分は試合にも出なくなったし、練習も遊びに行く感覚でやっているので、まぁうだつが上がらないのもしょうがないと思っています。ただ、今年で40歳になる私は、実はある一つの境地に達したのです。それは。
柔術つづけられてるだけでも丸儲け!!(さんま風)
この境地なのです。もう、スパーとか練習とかやってるだけで楽しいのです。だから、柔術を続けているだけでも楽しくてしょうがないですし、練習後の自分で自分をほめたたえる感覚。「今日も俺よく練習したな。」という自己肯定感がたまらなくいいんですよ。自分より強い人、うまい人は素直に尊敬できるし、追い越されたら、ちょっと悔しいけれど、彼はがんばったんだな。と認められるし。そういう割とクリーンな自分になれる柔術というスポーツが好きでたまらないんですよ。
承認欲求が強い人は、きっとスパーとかしてても、相手よりも強くなることだけを考えていたり、結果を急ぎすぎていたり、先生が見てくれているか。とかそういうことばっかり気にして練習しているんじゃないでしょうか。その一方、評価基準とかを抜いた、柔術そのものが持つポテンシャルというか、懐の深さというのを忘れている。または知らないんじゃないでしょうか。
だからもったいないと思うんですよ。
だから、あえていいます。帯なんかどうでもいい。今日のスパーが楽しめればそれでいいじゃん。と。けがせずに、今日も練習できて、汗を一緒に流して、うまい飯をくいにいける仲間がそこにいて、それだけでいいじゃん。と。
人には人の価値観があるし、承認欲求が強い理由にも何かがあるのだと思います。仕事で認められて、次は強さでも認められたい。だとか、俺にはこれしかないから・・とかとか。それらはすべて尊重します。
だけれど、自分を認めてもらえないから。という理由だけで、こんな素晴らしいスポーツをやめていくのは、本当もったないないですよ。帯とか本当、どうでもいいから、まずは楽しもうぜ!といいたいです。わたしは道場関係者じゃないので、もう、そういうこと思いっきり言えますからね。
Let's BJJ 柔術しようぜ! 帯制度なんか気にすんな
楽しんだもの勝ちでしょ!!
おまけ
- 2016.05.15 Sunday
- オッサンの一人語り
- 02:03
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- by 藤原